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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8513号 判決 1978年1月24日

原告

多賀久男

外三名

右原告ら四名訴訟代理人

佐藤勉

外二名

被告

株式会社柳下興産

右代表者

柳下フミ子

右訴訟代理人

海法幸平

主文

被告は原告ら四名に対し、各自三五〇万円およびこれに対する昭和五〇年九月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告ら主張の請求原因二の事実は当事者間に争いがなく、当事者間に争いのない事実と弁論の全趣旨によれば請求原因一の事実が認められる。

そこで、原告ら主張の和解契約の成否について判断する。

<証拠>によれば、つぎのとおりの事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

すなわち、

被告は、本件ビルの建築確認をえたのち、昭和五〇年四月下旬頃、附近住民である原告らに本件ビル建築の説明会をもち、その後も原告らと主として本件ビルの建築に伴う日照障害について話合いをしたこと、その過程において原告らは当初本件ビルを三階建てに設計変更してもらいたい旨要請していたが、被告の入れるところとならず、結局日照障害については被告において金銭的補償を検討することになつたこと、そこで、原告らは被告との日照補償の交渉を地元豊島区区議会議員の河村孝信に依頼し、同人と下打ち合わせを行なつたが、その際、同人から原告らの要求額である合計七〇〇万円の補償は無理であると説得され、同人は原告らの要求額を一応五〇〇万円として交渉にあたるが、その額については同人に一任することになり、以後この点についての被告との交渉は専ら同人が当つていたこと、他方、被告は原告らがその交渉を区会議員の河村に委任したことから、被告会社代表取締役柳下フミ子も同人の地元の同区区会議員塚越常三に相談する等してその交渉に当つていたこと、そして、同年六月一四日、豊島区役所内の議員控室で原告らの代理人である河村孝信、被告会社代表取締役柳下フミ子、同会社従業員大阪昭二郎とが集まり、塚越常三の立会のもとで約一時間にわたり原告らに対する日照障害の補償金額について接衝が行なわれ、、その席上において、原告らの代理人河村は原告らの希望額は七〇〇万円であるが五〇〇万円でどうかと被告側に打信し、これに対し被告会社代表取締役柳下フミ子から二〇〇万円の案が提示され、これに対し右河村から三五〇万円の案が提出されたこと、以上の事実が認められる。

ところで、右六月一四日の席上における河村からの三五〇万円の提示案について被告会社代表取締役柳下フミ子が了承したか否かについて、証人河村孝信は、右三五〇万円の案は原告側提示額の五〇〇万円と被告側提示額の二〇〇万円との折中案であり、塚越議員の口添えもあつて被告会社代表取締役柳下フミ子も承諾し、その金員の授受を同月二〇日同議員控室で行なうことで和解が成立し散会した旨証言しているのに対し、被告代表者柳下フミ子本人および証人大阪昭二郎は、右席上では河村孝信が一方的に七〇〇万円だの五〇〇万円だの切り出して三五〇万円を提示した揚句、勝手に三五〇万円の金額では持ち帰つて原告らに納得してもらわなければわからないといつて終了したのであつて、被告側では二〇〇万円の案さえ明確には提示していなかつた旨供述し、全く対立しているので、そのいずれの証言、供述が信用性の高いものかをつぎに検討する。

まず、右河村証人の証言についてみるのに、右河村証人は原告らの代理人として交渉に当つていたものであるから、原告らに有利な証言をする可能性を一応考えなければならないが、それにしても、同証人の右証言内容は前示認定の事実となんら矛盾する点ないしは不合理と思われる点がないばかりか、同証人の証言、証人大阪昭二郎の証言、原告多賀久男本人および被告代表者本人の各尋問結果と弁論の全趣旨によつて認められるその後の事情、すなわち、同月二〇日に原告らは合計三五〇万円となる領収書を作成して前記議員控室に河村区議会議員と共に出頭し、同席には塚越議員も来ていたこと等の事実とも符合するのであり、また、右河村証人の証言内容自体に前後矛盾する点も認められないので、これら諸点から推して、同証人の証言は信憑性に富むものと評価しうるものとみるべきである。

これに対し、被告代表者柳下フミ子および証人大阪昭二郎の右各供述では、前示認定の事実に照らすと、六月一四日の席上でいかなる接衝がなされ、どのようなことで散会になつたのかの合理的説明が付かず、その供述は前示認定事実との関係で不自然、不合理というほかないうえ、被告代表者柳下フミ子の本人尋問における供述は、当初、六月一四日の席上で同人から二〇〇万円の提示をしたことは絶対ない旨強調しながら、その後二〇〇万円を提示したかもしれないとか、二〇〇万円を提示したとか、同人にとつては極めて重大で、しかも記憶違いとはいえないような点について前後矛盾した供述やら訂正等をしており、しかも、<証拠>によれば、昭和五〇年九月二五日、被告代表者柳下フミ子は、原告ら代理人弁護士菅原哲朗との電話では、右河村の提示した三五〇万円の案を被告側において一応認めたような格好になつた旨答えているのであつて、これらの諸点を彼比勘案すると、被告代表者柳下フミ子本人の供述および証人大阪昭二郎の証言は到底信用し難いものというほかない。

そして、他に河村証人の前記証言を否定するに足りる証拠が認められない以上、同証人の証言どおり、六月一四日に原告らと被告との間に原告ら主張のとおりの和解契約が成立したものというべきであるから、この点に関する原告らの主張は正当である。

二そこで、被告主張の錯誤の抗弁について検討する。

<証拠>によれば、本件ビルの建築に伴い原告らに与える日影時間について被告が当初建築前に認識していた時間帯および時間と実際の時間帯および時間とではほぼ被告の主張するとおりの差異があることが認められる。しかしながら、右の実際における日影時間帯および時間であつても、冬期における日照時間帯のうちでも最も貴重な午前九時から午後一時半までの時間帯の数時間(原告多賀、同大塚は三時間三〇分、同内藤は二時間三〇分、同藤井は一時間三〇分)であり、同所がいわゆる住宅街であり、従前は十分な日照を受け、本件ビルの敷地の建物が同所附近の他の家屋と同様二階ないし三階建ての建物であれば、原告らはなんら日照障害を受けることなくすんだものであること、原告らは、本件ビルの建築により右時間の日照を半ば恒久的に失うに至るものであること(本件ビルの朽廃前はもとより、朽廃後といえども、本件ビルが建設されていたとの既成事実が斟酌されるであろうし、また、原告らにおいて日影となる物件を処分するとしても、この点は当然価格に考慮されよう。)、被告が本件ビルを建築し、住宅を供給することは社会における住宅の需要を満すという面のあることも全く否定しえないものではないが、被告が本件ビルを建築するのは、自己の経済的利潤を追及するためのものであることは明らかであること等の諸事情を勘案すると、原告らの本件ビルの建築による日照障害は十分保護に値するものというべく、しかも、原告らと被告との間の右日照の補償交渉においては、日影の時間帯および時間数の単位等を詳細に検討し合つていたものでないことは弁論の全趣旨から明らかであり、さらには、被告が本訴において錯誤として主張しているところのものは前示補償交渉過程において表示されていなかつたのであるから、日影が全くないか、若しくは日影が全くないに等しい程度のものではない本件においては、被告ら主張の錯誤は、要素の錯誤とまで断ずることはできないといわなければならない。

したがつて、被告の右錯誤の抗弁は理由がない。

三以上の次第であるから、原告らの被告に対する本訴請求は理由があり、原告らは連帯債権者として被告に対し、右和解金三五〇万円およびこれに対する弁済期後たる昭和五〇年九月二九日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有するものといわなければならない。

よつて、訴訟費用につき民訴法八九条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、各適用して主文のとおり判決する。

(海保寛)

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